シリーズ「愛犬の介護の記録」は、筆者のかつての愛犬ポピィについて書いた過去のブログの記事を再構成してこのサイトに転載したものです。
必要な人とワンちゃんのお役に立てれば幸いです。
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愛犬の介護生活の考察
たくさん散歩に行って良かった
介護生活を始めてしばらくの頃から、散歩が好きになってよく行くようになりました。
時間をかけてたくさん歩くということを毎日毎日続けたことが、肉体の衰えを少なからず抑えたり、良好な食欲や深い眠りなど、様々な良い結果をもたらしたと思います。
「歩けるなら、散歩に行く」というかんじで、できることをさせてあげることが大切だと思います。
老いを受け入れることと、先手の対応が大切だった
耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなることを早期に受け入れて、なるべく不自由しないように先手を打って対応してきたことが、最後まで役に立ちました。
犬も年をとれば体の機能が衰えて、あちこち具合が悪くなったりします。そんなことは初めからわかっているはずです。
だから飼い主は、老いてゆく愛犬の姿を悲しんだり、どうしたらいいか戸惑ったりしている場合ではなくて、対応してゆくべきなのです。
また、腎不全の発覚後には、腎臓と体を守るために「腎臓サポートフード」を食べるようになりましたが、もっと早い時期からこれを食べて暮らしていれば、腎臓はもっと長持ちしたのではないか?という考えもあります。
腎臓サポートフードは、腎機能が衰えた犬のためのいわゆる「療養食」ですが、予防的な意味で健康なうちに早めに食べ始めても問題がないのであれば、そうしたほうが良いと思います。
ともかく、愛犬ポピィはこのフードをとても喜んで食べてくれたことがなにより良かったです。
治療をする・しないは究極の選択
愛犬が失明したことは、大きな問題でした。
白内障への対応について、「余命」と「治療の苦痛やリスク」を天秤にかけて、「治療をしない」という選択をしたことは、正しかったのか・誤りだったのか、いまでもわかりません。ある意味究極の選択でもありました。
結果的に、愛犬ポピィはその後長生きして、失明して生きた期間が2年半もありました。お互いの顔を認識し合えない2年半は、実に大変なものでした。
病状に苦しんだときも、死が迫ったあの時も、せめて目が見えていたら少しでも安心や慰めになっただろうか。そう思うと、あの時手術の苦痛やリスクを恐れずに、白内障の治療をしておくべきだったのかもしれない、という考えも浮かびます。
いずれにしても言えるのは、楽な道はないということ。治療をする道を選べば愛犬は苦しむし、死ぬ可能性もある。治療をしないなら死ぬまで不自由する。
どっちを選択するかは、飼い主の考え方次第だと思います。
愛犬が旅立ち、長かった介護生活が終わった後で、こんなふうに当時を思い出して考察することがあります。
それは後悔というニュアンスではなくて、「こうしてあげたら、もっと良かったかもしれない」「あれもやっておけばよかった」といったもの。
愛犬ポピィがいなくなった後も、愛犬のためのアイデアみたいなものはどんどん湧いてくるのです。
いろいろ思うことはありますが、愛犬の治療や介護生活の中で、正解なんてものもないのでしょう。
私がやってきたことは、どれも答えの一つであり、なにも間違いではなかったと思います。
愛犬ポピィはただ、年老いた毎日を必死に生きました。私を信頼して、最愛の友として。
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